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(camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 変なタイトルですが、今回は表現法としての写真とマンガを比較してみます。 かつてマンガの神様、手塚治虫氏はマンガは記号の集合であるとおっしゃったそうです。近年ではマンガのそういう捉え方にも異論があるようですが、これはこれでマンガの本質をうまく表現したものだと思います。 マンガというのは言うなれば頭の中でいろいろな事象を記号化してそれを紙の上に表現したものです。中にはリアルに描かれたものもありますけれども、そういうマンガであっても何らかの記号化や抽象化や過度の強調がありますから、マンガというのは基本的に極めて主観的な表現であると言えるでしょう。いわゆるアニメ絵のような目鼻立ちやギャグマンガの2頭身の人間というのは現実的には存在しないものです。 一方、写真はその真逆を行くものです。写真というのは現実に存在しているものを写して表現の材料にするのですから、何も考えずに撮れば目の前のものが見たまま写ります。写真においてはマンガとは逆に主観を表現することの方が難しいということになります。 表現がダイレクトに主観から来ているマンガとは違い、写真で主観を表現するためにはそれなりに努力しなければなりません。つまり、何をどうやって撮るのかということをはっきりさせなければ主観的な写真とは言えません。それを具体的に言うなら被写体を選び、構図や露出や被写界深度などを自分の思ったように選ぶということです。 さらに写真は引き算と言われますが、主観を現すためには無駄なものを排除する努力も必要です。そのためには例えば背景をぼかしたり、アングルやフレーミングを工夫したり、ライティングを行ったり、適切な光線状況を待ったり、といった工夫をすることになります。 ここまでやって、ようやく写真はマンガと同じスタートラインに立てるわけです。ここまでやっても単に写真が主観的表現を得られたというだけであって、それを価値あるものにするためにはさらに撮影者の感動を見る人と共有するためのエッセンスを注入しなければなりません。 写真はマンガになることはおそらく可能でしょう。しかしながら、主観を表現する手段としては写真はマンガに比べると非常にハンデを背負っている状態とも言えます。上記のように、同じスタートラインに立つだけでも大変な努力が必要になるからです。 しかしながら、写真にはマンガにない利点もあります。マンガがよりリアルになるためには複雑な絵を書く必要があるので技術的(というか作業量的)には大変ですが、写真は始めからリアルです。写真はマンガとは違ってリアルであるために苦労する必要はありません。 もともとは主観的な記号であったマンガがリアルであろうとして新しい表現を生み出したように、写真がマンガに近づこうと努力することによっても新しい表現が得られるのではないか、またそういった努力が写真の世界をさらに奥深いものにするのではないか、そんなことを考えております。 ブッダ全12巻漫画文庫 手塚 治虫 by G-Tools
by leopard_gck
| 2010-11-20 00:26
| ひとりごと
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