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(camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 「構図」という言葉があります。「完璧な構図だ!」という褒め言葉があります。 では、完璧な構図というのはどういうものなのでしょうか。 構図に関しては、黄金比分割、二分割構図、三角構図、日の丸構図、対角線構図などなど、星の数ほどの用語があります。そうかと思えば型にはまった構図はダメだなんていうことを言う人もいます。 個人的には、構図を突き詰めて考えた場合は結局そういう理屈は役には立たないのではないかと思います。 例えば美味しいラーメンがあったとして、その美味しさを理屈のみで100%説明しきれるものでしょうか。麺の材料や形状、ダシのとり方、具の種類や調理法、汁と麺のバランス、隠し味、そういったものをどんなに細かく説明したとしても、何となくわかったような気分にはなれてもそのラーメンの美味しさそのものの説明にはならないでしょう。 結局のところは美味しいラーメンは美味しいと感じるのだから美味しい、美しい構図は美しいと感じるのだから美しいという結論に達するのではないでしょうか。 もちろん知識はあって良いものだと思います。知識は正解に手っ取り早くたどり着くための助けになるからです。しかし、知識によって得られたものをそのまま正解だと考えてしまってはいけないとも思います。知識はあくまでゴールにたどり着くためのひとつの手段であって、ゴールそのものではないからです。 完璧な構図というものがもしあるとするならば、それは理屈ではなく心が決めるべきものであろうと思います。
by leopard_gck
| 2010-11-12 22:14
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