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突然ですが少々思うところがありまして、このブログをFC2に移転します。
新ブログはこちらです。 http://leopardgck.blog.fc2.com/ 過去記事や皆様からいただいたコメントも含めて全て移転しましたので、しばらく様子を見てFC2の方が問題なければこちらはいずれ削除する予定です。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 表題の「ゆるきり」という言葉は、キヤノンがPowerShot G7というハイエンドコンデジを開発するに当たって創りだした造語です。 キヤノンいわく、「大人のためのデジタルカメラでありながら、あまりがっちりとしたマニアック性ではなくどこかゆるいところがある感じ」とのことですが、実際にはもうちょっと深みのある概念のようです。 マイクロフォーサーズを使っているのになぜキヤノンの話題が出てくるかと言いますと、この言葉がお散歩写真を撮るにあたって非常に使える概念だからです。 PowerShot G7はそれ以前のいかにもハイエンドといった佇まいの大仰なデザインを大幅に見直し、削れるものは出来る限り削ってすっきりとしたデザインで出なおしたハイエンドコンデジでした。フラッグシップであることに過剰にこだわらずに、気軽に持ち歩ける、しかしある程度気合を入れて撮影することができるカメラとして作られたのです。これはマイクロフォーサーズに共通するものがあります。 そして、この「ゆるきり」という概念は撮影そのものにも流用することができます。ゆるゆるとした気持ちで持ち歩いて、撮る時はきりっと撮る。大きなカメラバッグやら三脚やらを持ち歩いていると、撮っている時以外でも常に撮影機材を意識しなければなりません。しかし、小さなシステムであれば、歩いている時はカメラの存在をほとんど意識しないでぶらぶらとして、「あ、撮りたいな」と思ったらカメラを握って撮影モードに気持ちをビシッと切り替えるという「ゆるきり」な撮り方ができるようになります。 「ゆるきり」の気持ちを持つことによって得られるもの。それは、例えば常に気持ちが撮影モードであれば目にも留まらないような足元のものにも気持ちがいくようになることでしょう。 何でも入る撮影バッグにフラッグシップクラスの一眼レフと大砲レンズを何本も詰め込んでがっしりした三脚をかついで「さあ撮りに行くぞ」という気合が入っている状態であれば、その辺の道ばたで雑草と言われるような草花を撮る気持ちにはなかなかなれません。でも、そうやって撮影スポットにいそいそと出かける人の足元では小さな可憐な花がひっそりと咲いているのです。 肩の力を抜いて小さなカメラをひょいと肩に引っ掛けてぶらぶら歩く。ふと目を足元に落とすと、コンクリートの割れ目に小さな花が咲いている。誰もそんなものに目も留めない。下手をすると踏まれてしまうかもしれない。踏んだことにすら気がつかない。でも、この小ぶりなカメラとレンズがあれば、「自分は独りここに頑張って咲いているんだ!」という花の気持ちを世界にむけて知らせてあげることができるかもしれない。 それがわたしが考える「ゆるきり写真術」です。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8 flash:FL-36R flash diffuser:Omni-Bounce) 自慢できるような写真を撮っているわけではないのですが、どうやって撮っているのかという問い合わせをたびたびいただきますので自分なりにまとめてみました。 (注:けっこう長文です) ボディはパナソニックのDMC-G1ですが、高速コントラストAFと内蔵EVF(電子ファインダー)と可動液晶を持つボディであることが重要です。内蔵EVFと可動液晶は必ずしもなくても良いですが、高速コントラストAFは必須です。また、アングルの自由度を得るためにレンズも含めてある程度小さいシステムが必要です。よって、ボディはいわゆるミラーレス機に限定されます。システムの充実度を考えると現時点ではマイクロフォーサーズ一択ということになります。後述しますが、ファインダーが光学式ではなく電子式であることも大きなポイントです。 レンズはメインがLEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8、必要に応じてLUMIX G 20mm/F1.7とLUMIX G 45-200mmを使います。必ずしもこれらのレンズである必要はなく、高速コントラストAFを使ったマクロと望遠撮影ができれば良いです。質の良いクローズアップレンズやテレコンなどを使っても良いでしょう。画質に関しては、「ライカレンズは空気感が違う!」とかテストチャートを等倍鑑賞して解像力をチェックするというような考え方はしません。レンズにせよボディにせよ、わたしが求める必要最低限の画質をクリアーしてくれればそれで良いです。(といっても、わたしにとってはマイクロフォーサーズのボディもレンズも高性能すぎてもったいないくらいですが・・・) 基本的に手持ち撮影です。これは虫を撮る場合には三脚をセッティングしている余裕がないことと、多くはお散歩写真なので時間をかけてじっくり撮る余裕がないからです。ファインダーを覗いて「ここだ!」と感じた瞬間にシャッターを切りたいからでもあります。 暗所や室内などで自然光の手持ちでどうしても撮れない場合はディフューザーを装着したストロボを使います。ストロボは上下左右に発光部を回転でき、なおかつなるべく小さなものを選びます。(わたしはFL-36Rを使っていますが、これは機能や取り回しは良いのですがチャージが遅いのと電池の持ちが悪いのが欠点です) ノイズはあまり気にしない方ですが、後からノイズだらけで使えないということになっても困るのでISOはあまり上げないようにしつつ固定します(マクロの高感度で実際に問題になるのはノイズよりも質感が失われてしまうことでしょう)。ISOを固定するのは絞り値やシャッター速度を適切にコントロールしやすくするためです。ISO100や200を使うことが多いですが、撮影条件があまり良くない時は400くらいまでは上げます。それ以上上げなければならない状況の時は撮影自体をあきらめるかストロボを使います。 撮影モードはPモードかAモードを使うことが多いです。絞り値にはあまりこだわりはなくて、絞りは開放に限るとか少し絞らなければダメというような考え方はしません。これは絞り開放からあまり描写が変わらないマイクロフォーサーズを使っているからかもしれません。昆虫写真だから絞るとか花の写真だから絞りを開くというような考え方もしません。必要な被写界深度は被写体の種類によって変えるのではなく、その時撮っている写真に応じて適した被写界深度は違ってくると考えます。 ストロボを使う場合はMモードです。絞り、シャッター速度、発光の強さ、ストロボの発光の向きなどをそれぞれ適宜調節します。屋外での手持ちクリップオンストロボ撮影でも、ディフューザーを使ったり発光部を左右に動かしたりすると光のドラマをそれなりに演出することができるのです。バウンスできる状況であればバウンスも考えます。 ピント合わせは一点AFです。AF枠を一番小さなものにして、ピントを合わせたい場所にピンポイントに指定します。この際にはコントラストAFがピントを合わせやすい状況にしてあげることと、フォーカスゾーンを意識することが重要だと考えています。ピントは点で合わせるだけでなく、撮影意図に応じて線や面や立体で合わせるべきだと考えています。 背景の処理が重要な場合は、プレビューボタンを押して被写界深度などを確認しながら絞り値を調節します。(マウントアダプタで実絞りレンズを使っている場合はこの作業は必要ありません) ピントを立体的に考えるような撮影の場合は、ピント合わせはAFポイントの位置と絞り値をセットで考えます。 手持ちマクロや望遠だと手ぶれが大敵なので、カメラを固定するために使えるものは何でも使います。壁、地面、電柱、ブロック塀、などなど、体の何らかの部分を固定できる状況であれば利用して肘や肩や背中などを固定します。カメラに近い場所をどこか一箇所でも固定できると歩留まりが全然違ってきます。完全に体がフリーになってしまう状態であれば、その時撮りたい撮影アングルに対して最も安定した姿勢はどういうものかということを考えます。 アングルの都合で背面液晶を使ったライブビュー撮影になる場合は、ストラップをぴーんと張った状態になるようにカメラを突き出してホールドします。故に、ストラップは脇を閉めてカメラをつきだした状態でホールドできる長さにあらかじめ調節しておきます。また、ライブビューでカメラを低い位置で構えたり上に向けたり下に向けた状態でしっかり握れるホールドはどういうものかをあらかじめ把握(ないし練習)しておきます。カメラの位置やアングルによってはシャッターボタンを親指で押すこともありえます。アイレベルでの撮影と違いグリップを握り込む深さや手首の角度がいろいろと変わりますのでそういうホールドにも慣れておきます。 ファインダーかライブビューかの選択は撮影アングルで決まりますが、虫や小動物を撮る場合はファインダーが使える場合でも全体の状況を見ながら少しずつ近づくためにあえてライブビュー撮影をすることもあります。 虫や花の撮影ではあらゆる高さやアングルに対応しなければなりませんから、苦しいアングルでもいかに確実にホールドするかというのが勝負どころです。イメージとしては、「全身でカメラを構える」「姿勢を工夫して全身の重心バランスが撮れた状態で撮影する」といった感じです。 ここからがたぶん人とはちょっと違うところだと思いますが、撮影したらまずそのままの姿勢でEVFで撮影画像のチェックをします。EVFでチェックするのは外光の影響を排除するため、そのままの姿勢でチェックするのはすぐに次の撮影に移れるようにするためです。一番やりたいのはピントと露出のチェックですが、被写界深度のプレビューをやらずに撮った場合はそのチェックもします。ささっと拡大表示もして、今の撮影で何が問題だったのかを確かめます。問題は構図なのか、露出なのか、ピントなのか、ブレなのか、ホワイトバランスなのか。問題点が把握できたら、改善の余地があるならば改善の努力をして次の撮影に移ります。一見面倒ですが、こうした方がたくさん撮って後から見直すよりも歩留まりが良いのです(少なくともわたしにとっては)。この確認にかける時間は1〜2秒程度です。 はじめに撮る数枚は言うなればラフスケッチのようなもので、撮影画像を確認しながら完成像を想定し、その完成像に近づけるように少しずつ工夫しながら撮っていきます。おおよそ完成したと思えば撮影を終了します。 お散歩写真なので、撮り始めてから完成像を得るまでにかかる時間はおよそ数分間、どんなに長くても10-20分くらいです。撮影に時間をかけないのはお散歩写真という制限もありますが、それ以上長時間の集中力を保つことができないというのも大きな理由です。マクロや望遠はきちんと撮ろうとすればそれだけで非常に精神力を消費するものです。 撮り終わった後は現像作業ですが、ここまででかなりの長文になってしまったので続きはまた機会があれば書いてみようと思います。(といいつつ忘れてしまうかもしれませんが・・・(^^; ) ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) PENTAX Qの登場で、いわゆるミラーレスカメラもなかなかバリエーションの富んだ賑わいを見せてきました。 面白いのは、同じミラーレスであっても各社それぞれのミラーレス観があり方向性が異なるということです。一眼レフが多少の違いはあっても似たり寄ったりのものになりやすいのと対照的にミラーレスカメラに個性的なモデルが多いのは、自由度が高いというミラーレスの側面の一つを象徴しているものと思われます。 そのなかでマイクロフォーサーズがこれから進む道はどういうものなのか。 前々回でも少し触れましたが、マイクロフォーサーズの他社との大きな違いは、GF3のようにコンデジに近い極めてコンパクトなモデルからGH2のようにファインダーとフル可動の背面液晶を持ついわゆる全部入りまでボディのバリエーションに富んでいることです。 また、レンズのバリエーションもマイクロフォーサーズは群を抜いています。ダブルズームやパンケーキレンズはもちろんのこと、超広角、超望遠、マクロ、魚眼、3Dレンズ、そして今度出る25mm/F1.4、12mm /F2.0、45mm/F1.8といった単焦点レンズ群。 これはいったい何を意味するのか。 これらの存在は、マイクロフォーサーズは完全なレンズ交換式システムで行こうという意志の現れでしょう。単なるサブシステムとか標準ズームやパンケーキだけでお茶を濁そうとは思っていないのは明白です。 そこに持ってきて今回のGF3やE-PM1といった小型機の登場。そして、条件付きとはいえ一眼レフを超える速度のAF。エプソンと組んだ高性能EVF。 マイクロフォーサーズはぎりぎりコンデジに近いスタイルのボディから一眼レフを超えるスペックの全部入りボディまで、かつて存在しなかった非常に幅広いレンズ交換式システムを作り上げることを最終的な目標にしているのではないでしょうか。今までの流れを見るに、マイクロフォーサーズにはそのような野望があるように思われます。そして、パナソニックとオリンパスの2社があればそのようなシステムは実際に構築可能と思われます。 ミラーレスはコンデジと一眼レフの隙間を埋めるためのニッチな存在と思われてきましたが、少なくともマイクロフォーサーズはそれ以上の存在になる可能性が現実的に十分に考えられるのではないでしょうか。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 変な題名ですが、なかなか適切な題が思いつかず・・・(^^; 例えば花の写真を撮るとして、きれいに手入れされた花壇に咲き乱れる今が盛りの美しい花、そして人知れずコンクリートの割れ目から生えてひっそりと咲いている小さな花、どちらの写真を撮りますか? わたしならば両方撮りますが、より夢中になって撮るのは後者の方です。 自分でも理由はわからないのですが、わたしはどうやら美しさを前提に提示された人工的な環境に対する写欲がどうにも乏しいのです。きれいだろうと言わんばかりのものをそのままきれいに撮っても仕方がないだろうとつい考えてしまうのです。 それよりは、誰も見向きもしないようなその辺の何でもないものをきれいに、もしくは雰囲気が出る感じに撮ってみたいと思ってしまうのです。 (余談ですが、例えば前回の写真も、アゲハチョウの美しさやかわいさは完全に認めた上で、写真としてはあまり面白くないものだと思っています) 花の写真を撮るときに、いちばんきれいに咲いている花を選んで刷毛を使ってゴミや虫を払って撮れと言われますが、そういう撮り方にもどうにも興味が持てません。ゴミや虫が乗っているなら、それをそのまま撮ったほうが良いと考えてしまうのです。むしろそのゴミや虫を主役にしたいとすら思います。 こういう考え方は損をしているなあとも思います。皆が見たいのはきれいな花であって、ゴミやら虫やらが乗っていたり枯れかかっていたりその辺の道ばたに生えている花ではないでしょうから。 しかしながら、そういうものにシンパシーを感じてしまう自分の傾向はどうすることもできません。こういう指向がフォトグラファーとして正しいのかどうかは大いに疑問ですが、ともかく行けるところまでは行ってみようと思います。どうしようもない壁に突き当たったら、その時はまた新しい道を考えることにしましょう。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) View Large 先日、パナソニックから第三世代のマイクロフォーサーズ機であるDMC-GF3とG3が発表されました。 今回のポイントは小型軽量化。GFシリーズもGシリーズももともと小さいボディでしたが、それぞれ前機種よりもさらに小型化を追求したモデルとなりました。 G3の小型化に関しては概ね好評のようです。前機種からは電子ファインダーと背面液晶の表示を自動的に切り替えるアイセンサーが省略され、AFモードやドライブモードを切り替えるレバーやダイアルも省略されましたが、前機種よりは25%の体積減少とのことで小型化に関してはかなり努力した跡が見受けられます。逆に考えればこれまでのようにエントリークラスのボディでAFモードやドライブモードを切り替えられるレバーがついている方が異端とも言えますから、ある意味ではいわゆる正常進化ということにもなるのでしょう。 GF3は賛否両論のようですが、GF1ユーザーからは概ね不評のようです。不評の元はGF2からですがモードダイアルが省略されたこと、スクエアデザインからラウンドデザインに変更されたことでしょう。これはGF3の方向性を考えれば仕方がないとも言えますが、GF1ユーザーにとっては許容範囲外の変更なのでしょう。GF1ユーザーの中にはむしろG3の方を正当な後継機と考える人もいるようですが、GF1を完全に気に入っている人にとってはG3もGF3も何か違うと感じられるのは無理もありません。 逆に、小型ミラーレス機の新規購入を検討している人やとにかく小さいサブカメラが欲しいという人にとっては従来機よりも魅力的に感じられるカメラでしょう。モードダイアルがなくてもタッチパネルがあればある程度の操作性は保証できるでしょうし、この手の小型カメラではホットシューを使う撮影はしない人も多いでしょうから、携帯性最重視のカメラとして考えれば悪いものではないと思われます。 第三世代機はどちらかというと新規ユーザー獲得や従来機ではちょっと大きいと感じていたユーザーを狙ったモデルで、従来機の路線をそのまま受け継いで欲しいというユーザーの買い替え需要はほとんど念頭にないように見えます。 今後ハイアマ向けの新しいラインが追加されるとの噂がありますが、もしそれが本当だとしたらそれはGF1やG1に飛びついたハイアマ層の選ぶべきモデルになるのでしょう。全部入りのフラッグシップとしてはすでにGHシリーズがありますが、それとはまた違った路線であろう全部入りではないハイアマ向けボディとはいかなるものなのか、パナソニックのお手並み拝見といったところでしょうか。 省けるものは思い切って省いて小型軽量化をとことん追求したGF3、いわゆる全部入りながら出来る限りの小型化を追求したG3、一眼レフと比べれば小さいが各種機能を盛り沢山にしたGH2、小粒ながらもツボを抑えた機能を盛り込むであろう謎のハイアマ機、とマイクロフォーサーズにも役者が揃ってきました。 パナソニックは実に用意周到に、まずはミラーレスとは単に小さく軽いものではなく次世代のレンズ交換式システムを担うポテンシャルがある新時代の規格であることをG/GHシリーズで示した上で、やろうと思えばここまで小さくできるのだということをGF3で示してきました。一眼レフを超えるAF速度を追求したりフルサイズ並みのファインダー倍率を誇る電子ファインダーを搭載したりする一方で、省略できるものはギリギリまで省略して小型軽量化をとことん追求するボディを出すという2正面作戦。既存の常識に縛られない新しい時代のカメラを作るのだという強い意志と気概が伝わってきます。 ここから先マイクロフォーサーズが進む道はどういうものなのか、個人的には期待半分不安半分といったところですがミラーレスに期待する者の一人として見守っていきたいと思います。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens: LUMIX G 20mm/F1.7) View Large 今回は「写真の見せ方」について考えてみたいと思います。 もうちょっと詳しい言い方をすれば、その写真の魅力を最も引き出せる見せ方をみつける、ということにもなります。 同じ写真であっても、例えば大きく引き伸ばした時とポストカードサイズではかなり印象が異なります。 大きくすればそれで良いというものではなくて、テーブルフォトやペットの写真などはむやみやたらに大きくするよりはポストカード程度に留めておいて手元で見られるようにした方が写真の魅力をより引き出すことができるでしょう。逆に、細かいところまで精緻に写っている雄大な風景写真などは小さいサイズだとその魅力を十分に発揮することができないでしょう。 デジタル時代になって写真を発表する場は多種多様になりましたから、写真の大きさだけでなく、背景の色、縦横比、写真と文章のバランスなどによっても写真の印象は変わってくるでしょう。 本来は写真一枚一枚に最も適したサイズと背景色と縦横比をそれぞれ見つけるべきでしょうけれど、現実的には写真サイトやブログなどの制限もありますから逆に撮る写真をその制限に合わせるというやり方になることが多いだろうと思います。 わたしの場合はメインの活動の場所はFlickrと考えていますので、写真サイズはFlickrのデフォルトである長辺640ピクセル、縦横比は今使っているカメラのデフォルトである4:3、背景色は白、というのが前提になる写真を撮る、ということになります。ただし640ピクセルでは写真の魅力を表現しきれないと判断した時は大きなサイズへのリンクを貼ることにしています。その際には背景色は黒になるようにしていますが、これは背景を黒にすることによって写真全体を浮き上がらせるような効果を期待しているからです。 以下はあくまでわたしの個人的な考えですが、枠をつけたり背景を黒でしか見られない写真は極力撮らないようにしています。ちょっと凝った枠をつけるとそれだけで何となく本格的なイメージになってしまったり、背景を黒にすることによってそれだけで何となく非現実的な雰囲気が出てしまい、本来の写真の持つ力に関係ないところで見る側の判断力を惑わせる可能性があるからです。 (ただし上述の如く背景を黒にするメリットもあると思いますので、オプションとしてそういう見方も提供するというやり方にしています) 「最も適切な見せ方」を決めるのが写真を撮る前にせよ後にせよ、そういう考え方も「写真を撮る」という行為に含まれるものだと考えています。 Panasonic デジタル一眼カメラ マイクロフォーサーズ 交換レンズ H-H020by G-Tools ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) View Large Flickrという世界最大の写真共有サイトがあります。ウェブで写真関係の活動をしていればすでに参加しておられる方も多いでしょうし、参加はしていなくても名前を聞いたことはあるだろうと思います。 今回はそのFlickrについて書いてみます。これは以前からやろうと思っていたことなのですが、なかなか文章をまとめられずに延ばし延ばしにしていました。これから書くこともFlickrのすべてについて書くわけではなく、おそらく数回にわたって書くことになるだろうと思います。 Flickrに参加する最大のメリットは、世界中の人が撮った写真を見ることができて世界中の人と写真についてコミュニケーションがとれることです。英語圏の人が多いですが、中東やアフリカや東南アジアなどですごい写真を撮っている人たちがたくさんいることもわかります。 その辺の道ばたで撮ったお散歩写真を地球の裏側の人が見てコメントを書いてくれるというのはなかなか刺激的かつ魅力的な体験です。今回の写真もその辺の道ばたでひっそりと生えていたタンポポの綿毛ですが、こういう写真でも世界中の方から1000以上のview、200近いコメント、100以上のFavorites(要するにお気に入り)をいただきました。 さらに、そういうコミュニケーションをとることによって世界のプロアマ問わず凄いフォトグラファーを見つけることもできます。凄いフォトグラファーというのは凄い写真を撮るだけではなくて、凄い眼力(観察力、審美眼)を持っている人もいるということです。 例えば今回の写真、これもFlickrにアップしたものですが、"lovely work, and lovely processing... and so sharp in all the right places"というコメントをつけてくれたスコットランドの写真家がおられます。この方はわたしがこの写真で出したかったエッセンスをこの短い言葉ですべて表現してくれました。これはつまり、わたしがやろうとしたことを心情的にも技術的にも写真をちょっと見ただけで全て理解したということです。 他人の撮った写真に対してここまでシンプルに的確に本質を見抜くことができる人はなかなかいません。特に後半の言葉はマクロに対する深い造詣と経験と鋭い審美眼がなければ絶対に出てこないものでしょう。後半部分を読んだだけでもこの方がただ者ではないということがわかります。 昔の時代劇で刀で切った小枝の切り口を見ただけで切った人の腕を理解するというような描写がありましたが、写真でそれに近いことができる人は実際に存在するということです。 こういう凄い人がいるのがFlickrというところなんですね。 Flickrの魅力については、いずれまた別の視点から続きを書く予定です。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) View Large 今まで何度かお散歩写真について書いてきましたが、わたしにとってお散歩写真で一番楽しいのは、その辺で普段から歩きまわっているようなところで良いシャッターチャンスに巡り会えた瞬間です。 「良いシャッターチャンス」と言っても、別に珍しい被写体や出来事を見つけた瞬間というわけではありません。もちろん珍しい被写体に出会えればそれはそれで嬉しいですが、お散歩写真の醍醐味は何と言っても、「ごく普通の場所でごく普通の被写体で良い写真が撮れた時」だと思っています。 この季節で言えば、例えばその辺の道ばたで出会ったタンポポなどがそれにあたります。 今回の写真は、たまたま通りかかったビルの谷間にある花壇とはとても呼べないようなごく狭いスペースに何とか生えていたタンポポの綿毛です。 わたしも正直言いまして始めはごく軽い気持ちでカメラを構えたのですが、ファインダーを覗いた瞬間に「これは何かが起こっている!」と感じました。目の前にあるのはごくありふれた光景、ごくありふれた被写体。こんなところで写真を撮ろうなどと思う人はまずいない。しかしながら、綿毛の状態、光のまわり方、背景のバランス、そういったものが組み合わさってファインダーの中で何か魔法のようなことが起こっている。良いお散歩写真が得られる瞬間だと感じたのです。 こういう瞬間を掴むためには、やはりいつでもどこでもカメラを持ち歩いて、その瞬間を逃さず捉える準備を常にしておかなければならないと改めて感じます。 そのために必要なのは、小さく軽く高性能で、その辺の道ばたで人知れず起こっている小さな奇跡を確実に捉えてくれるレンズとカメラ。正にそれこそがマイクロフォーサーズです。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 「写真の批評をしてほしい」と言われた場合、どういうわけかその多くは「どこがダメなのか教えて欲しい」という意味であるようです。また、批評を行う側も、「ここがダメ、あれがダメ」という指摘をすることが多いようです。 ダメなところを指摘すること自体は別に悪いことでも何でもありませんが、それだけで終わってしまって良いのだろうか、といつも思います。 あれがダメ、これもダメ、と良くないところをどんどん直していって、最後に残るのはどういう写真なのでしょうか。 とてもきれいで非の打ち所が無い教科書的で優等生的な、それでいて個性もアクも感じられない、感心はできるが感動はできない写真ではないでしょうか。 欠点を指摘するのは簡単です。多少の知識と経験があれば誰にでもできることだからです。 しかしながら、いったい何に感動してどうやったらその感動を表現することができるのか、そういうことは欠点をつぶしていくだけでは得ることができないだろうと思います。 例えば、「水平が出ていないからダメ」というのは簡単です。ちょっとでも写真をかじったことがあれば誰にでも言えることです。 しかしながら、水平をきちんと出すことがその写真にとってどういう意味があるのか、本当に水平が出ていたほうが良いのか、少しばかり傾いていたほうが作画意図を的確に出せるのではないか、そういうところまで考えた上で「水平を出すべき」と指摘しているのかどうか、そこが問題でしょう。 「横の線なのだから水平は出すべきだ」というような機械的な考え方では本当の向上は得られないだろうと思います。水平が出ていないからダメ、ではなく、その写真で表現したいものを出し切るために一番必要な角度は何か、と考えるべきだろうと思います。その答えは水平かもしれませんし、そうではないかもしれません。 本当の批評とはただダメ出しをするだけではなく、写真を撮るのと同じように「どうしたらもっと良くなるのか、魅力を引き出せるのか」というクリエイティブなスタンスで行うべきものだろうと思います。それは批評される側にとって有益であることはもちろん、批評する側にとっても自分を高めるためのイメージトレーニングに成り得るでしょう。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lensLUMIX G VARIO 45-200mm) 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 さて、本題ですが・・・ お散歩写真とはどういうものでしょうか。 のんびりぶらぶらと散歩している途中にふと気になるものを撮ってみるというのが一般的なお散歩写真だろうと思います。 わたしの場合はちょっと違っておりまして、諸国を武者修行中の兵法者のような気持ちで撮っております。 言うなれば、カメラは刀であり、被写体は勝負する相手です。いつどこで誰に会えるかは事前にはわかりません。その辺で偶然バッタリと出会った相手が勝負にふさわしいと思えばいつでも戦いになるわけです。 その辺の道ばたで偶然出会った相手と戦わなければならないのですから、そのためには予定された合戦や試合とは違う心構えと準備が必要になります。 合戦であれば鎧兜や馬などが必要になりますが、それをいつでも持ち歩くわけにはいきません。 試合では戦う場所や相手が決まっているのですから、そのための準備だけすれば良いということになりますが、その辺で偶然出会う相手と戦うのであればいろいろな条件にも対応できる準備が必要です。しかしながら、普段から準備しておかなければならないので、持ち歩ける武器にも制限があります。 わたしがお散歩写真で戦うべき相手はおおよそ自然の生き物(虫や動物や花など)になります。そのために必要な武器は持ち歩きに適した小型のカメラおよび小型のレンズです。メインの武器はマクロレンズと望遠レンズ、時には明るい単焦点レンズや広角レンズなども必要になります。現時点ではカメラの性能やレンズのラインナップなどから、総合的にマイクロフォーサーズが最も適したシステムということになります。 必要な戦術は、マクロと望遠を使うことが多いのでいかにブレを抑えるかということと、いかに必要なアングルと距離を得るかということ。パナソニックのEVF内蔵機は可動式の液晶を持ち、EVFと背面液晶の切り替えが自動で行えますから、撮影アングルや撮影距離の自由度が高くなるという点でも優れています。 小さなてんとう虫から野鳥までお散歩中に狙うことができるマイクロフォーサーズのシステムは、お散歩写真用システムとして非常に優れたものだと思います。 標準ズームや単焦点一本でパシャパシャ撮るお気楽なお散歩写真ももちろん良いものですが、そこからさらに一歩進んだ新しいお散歩写真の領域に踏み込むことが可能となったシステムとも言えるでしょう。 Panasonic デジタルカメラオプション デジタル一眼カメラ用交換レンズ H-FS045200by G-Tools ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 皆さんは何かの写真を見て衝撃を受けたことがあるでしょうか。 衝撃といってもショッキングなものやグロテスクなものが写っているという意味ではなく、美しさなどの表現に強く心が打たれたという意味です。 個人的には「凝ってるなあ」とか「きれいだなあ」とか「素晴らしい瞬間をとらえているなあ」などと思うことはあっても、衝撃を受けるほどの写真にお目にかかることはめったにありません。しかしながら、衝撃的な写真というのは間違いなく存在すると思います。 個人的な昔話になってしまって申し訳ありませんが、わたしは長らくダラダラと毒にも薬にもならないようなつまらないスナップ写真を撮っていまして、その頃のわたしはどちらかというと写真よりも機材の方が好きな機械オタクみたいな存在だったと思います。カメラやレンズを物欲で買っただけで何となく満足してしまい、写真雑誌を見ても写真集を見ても、「上手いなあ」で終わってしまう鑑賞。それは感動というレベルからはほど遠いものだったような気がします。 それが突然の転機を迎えたのは、Flickrという世界最大の写真サイトに参加してから、ある写真を見てしまったことでした。こんなに美しい写真がこの世にあるものだろうか。そして、いつの日か自分でもそんな写真を撮ることができるようになるものだろうか。そんな疑問が機材よりも写真そのものに対する興味を沸き立ててくれたきっかけでした。 時折、わたしの写真を見た方からとても嬉しい言葉をいただけることがあります。「感嘆しました」、「どうやって撮っているのか想像もできません」、などなど・・・ 正直言いましてわたしの写真などはそんなお言葉をいただくにはもったいない非常に稚拙なものだと思いますけれども、わたしの撮る写真がほんの少しでも写真の魅力を感じる一助になっているのであれば、それほど嬉しいことはありません。 写真で意図的に強いインパクトを与えるのは非常に難しいことだろうと思います。それは以前の記事にも書きましたが、写真というものはあまりにもリアルであるからです。あまりにも現実的で身近なものは人を感動させることは非常に難しいですが、あえてその困難と戦ってみたい。それがわたしの挑戦です。 (そんなことが実際にできるかどうかはわかりませんが・・・(^^; ) ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 写真は引き算だと言われます。 わかりやすく言い換えれば、余計なものを排除して表現したいものだけを写すということです。 ごく単純に考えれば、背景を真っ黒にしたり真っ白にしたり完全にぼかしたりして被写体のみをどどーんと大写しにすれば十分に引き算をした写真ということになります。が、カタログ写真ならそれで良いのかもしれませんけれども、鑑賞を主目的とした写真であればそれでは少々つまらないというか、物足りない写真になることもしばしばです。 ではどうするかと考えた場合、十分に引き算をした上に今度は逆に何かを加える、すなわちプラスアルファするというやり方があるだろうと思います。 こうすることによって写真に深みや奥行きや意外性を出すことができるでしょう。逆にデメリットとして主要被写体の表現が散漫になってしまう恐れがありますので、何をどうやって加えるかというのは慎重にやるべきだろうと思います。 例として自分で撮った写真を出すのは非常に心苦しいものがあるのですが人様の写真を勝手に出すわけにもいきませんのであえてわたしのヘタクソな写真を例に挙げるとすると・・・ この写真は産卵中のカマキリですけれども、マクロ写真なので背景はぼかせば良いので引き算は簡単です。しかし、ただ単に背景をぼかしたマクロ写真では珍しいシーンを撮ったというだけの写真になってしまいます。そこで背景にちょっと凝ってみたりアングルを慎重に決めてみたりするわけです。こういう構図であれば水平をきっちり出すというのも一つの手ですけれども、今回は重心的なバランスを重視することにしてあえて水平は出していません。 (この写真自体には自分で満足できないところがいくつもあるのですが、今回は話の流れ上あえて出しました) いらないものを引いていくというのは現実的には状況や技術や機材の制約で難しいことはあったとしても発想としては単純なものです。それよりは、引き算する上で何を残すのか、引いた後に何を足すのか、ということを考えるのが非常に難しいところだろうと思います。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 変なタイトルですが、今回は表現法としての写真とマンガを比較してみます。 かつてマンガの神様、手塚治虫氏はマンガは記号の集合であるとおっしゃったそうです。近年ではマンガのそういう捉え方にも異論があるようですが、これはこれでマンガの本質をうまく表現したものだと思います。 マンガというのは言うなれば頭の中でいろいろな事象を記号化してそれを紙の上に表現したものです。中にはリアルに描かれたものもありますけれども、そういうマンガであっても何らかの記号化や抽象化や過度の強調がありますから、マンガというのは基本的に極めて主観的な表現であると言えるでしょう。いわゆるアニメ絵のような目鼻立ちやギャグマンガの2頭身の人間というのは現実的には存在しないものです。 一方、写真はその真逆を行くものです。写真というのは現実に存在しているものを写して表現の材料にするのですから、何も考えずに撮れば目の前のものが見たまま写ります。写真においてはマンガとは逆に主観を表現することの方が難しいということになります。 表現がダイレクトに主観から来ているマンガとは違い、写真で主観を表現するためにはそれなりに努力しなければなりません。つまり、何をどうやって撮るのかということをはっきりさせなければ主観的な写真とは言えません。それを具体的に言うなら被写体を選び、構図や露出や被写界深度などを自分の思ったように選ぶということです。 さらに写真は引き算と言われますが、主観を現すためには無駄なものを排除する努力も必要です。そのためには例えば背景をぼかしたり、アングルやフレーミングを工夫したり、ライティングを行ったり、適切な光線状況を待ったり、といった工夫をすることになります。 ここまでやって、ようやく写真はマンガと同じスタートラインに立てるわけです。ここまでやっても単に写真が主観的表現を得られたというだけであって、それを価値あるものにするためにはさらに撮影者の感動を見る人と共有するためのエッセンスを注入しなければなりません。 写真はマンガになることはおそらく可能でしょう。しかしながら、主観を表現する手段としては写真はマンガに比べると非常にハンデを背負っている状態とも言えます。上記のように、同じスタートラインに立つだけでも大変な努力が必要になるからです。 しかしながら、写真にはマンガにない利点もあります。マンガがよりリアルになるためには複雑な絵を書く必要があるので技術的(というか作業量的)には大変ですが、写真は始めからリアルです。写真はマンガとは違ってリアルであるために苦労する必要はありません。 もともとは主観的な記号であったマンガがリアルであろうとして新しい表現を生み出したように、写真がマンガに近づこうと努力することによっても新しい表現が得られるのではないか、またそういった努力が写真の世界をさらに奥深いものにするのではないか、そんなことを考えております。 ブッダ全12巻漫画文庫手塚 治虫 by G-Tools ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 「構図」という言葉があります。「完璧な構図だ!」という褒め言葉があります。 では、完璧な構図というのはどういうものなのでしょうか。 構図に関しては、黄金比分割、二分割構図、三角構図、日の丸構図、対角線構図などなど、星の数ほどの用語があります。そうかと思えば型にはまった構図はダメだなんていうことを言う人もいます。 個人的には、構図を突き詰めて考えた場合は結局そういう理屈は役には立たないのではないかと思います。 例えば美味しいラーメンがあったとして、その美味しさを理屈のみで100%説明しきれるものでしょうか。麺の材料や形状、ダシのとり方、具の種類や調理法、汁と麺のバランス、隠し味、そういったものをどんなに細かく説明したとしても、何となくわかったような気分にはなれてもそのラーメンの美味しさそのものの説明にはならないでしょう。 結局のところは美味しいラーメンは美味しいと感じるのだから美味しい、美しい構図は美しいと感じるのだから美しいという結論に達するのではないでしょうか。 もちろん知識はあって良いものだと思います。知識は正解に手っ取り早くたどり着くための助けになるからです。しかし、知識によって得られたものをそのまま正解だと考えてしまってはいけないとも思います。知識はあくまでゴールにたどり着くためのひとつの手段であって、ゴールそのものではないからです。 完璧な構図というものがもしあるとするならば、それは理屈ではなく心が決めるべきものであろうと思います。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 写真は芸術なのかという命題はかなり昔からあるもののようですが、わたしの答えははっきりしています。 絵画でも彫刻でもクラシック音楽でも小説でも芸術といえるほどのクオリティがないものは芸術ではありませんし、マンガでも写真でも芸術的なものであれば芸術です。当たり前と言えば当たり前ですけれども。 何かしらのジャンルによって芸術かそうでないかというのはそもそもありえないことだろうと思います。ジャンルの違いというのは、自分を表現するために楽器を持つのか、絵筆を持つのか、カメラを持つのか、という違いにすぎません。作品に嘘偽りのない自分自身の魂が込められており、それを表現するための技量が優れたものであれば、ジャンルを問わずにアートであると言って差し支えないと思います。 もう一つよくある命題としては、被写体とカメラをセッティングして猿にシャッターボタンを押させたとしたら、その写真を撮ったのはいったい誰なのか?というものがあります。これもわたしの答えは明確で、セッティングした人がその写真を撮ったと言えます。なぜならば、シャッターボタンを押すという行為は写真を撮る一連の作業においてほんのわずかな要素にしかすぎないからです。被写体や機材の選択、いつどこでどうやって撮るのか、撮った後の扱いなど、その全ての行為を含めて写真を撮るということになります。 この命題を考えた人は、おそらく実際に自分で写真を撮る人ではないと思います。わたしが書いたようなことは、写真を少しでも真剣に撮ったことがある人であればあまりにも自明であると言えるでしょう。 写真など誰にでも撮れる、というのはある意味では正しく、ある意味では間違っています。単にフィルムなり撮像素子なりを感光させるだけならシャッターボタンを押すだけで誰にでもできます。しかしながら、明らかな意図を持って自分が思った通りの写真を撮るというのは誰にでも出来ることではありません。写真を理解し、技術と知識を自分のものとし、経験を積まなければそういう写真は撮れません。 落書きなら誰にでも出来ますが、芸術的な絵画は誰にでも描けるものではないというのと同じことです。 写真はアートだ、などと言うとずいぶん気取った物言いにも見えますが、写真を撮る人間がそういう自覚を持つことは写真を向上させるためには必ずしも悪いことではないと思っています。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) 「青い鳥」という童話があります。 皆さんご存知のように、二人の兄妹が幸せを求めて青い鳥をあちこちに探しに行くのですが、実は青い鳥は自分の家にいたという話です。 写真にも似たようなことが言えるのではないかと思います。 良い写真を撮るためにあちらこちらに出かけていく。珍しいものを撮ればなんだか面白い写真を撮ったような気持ちになれる。でも一見雰囲気があるように見えるけれどもよくよく見てみると被写体が珍しいだけで、純粋に写真として見ればどうもあまり面白くない。しかも何だかこの間見た写真雑誌に載っていた写真に似ているような気がする。自分で撮ったというよりは撮らされたみたいだ・・・ 写真に少しでも凝ったことがある人なら、一度ならずもそんな経験があるのではないでしょうか。 そんな時、自分の足元に目を向けてみてはいかがでしょうか。 涼しくなってきた秋の朝、その辺にちょっと形の良い葉っぱが落ちている。よく見ると柔らかい光に包まれた朝露が光っていて何だか気持ちが良さそうだ。露だけじゃない、葉脈も美しい。横から撮ってみる。上から撮ってみる。露出をちょっとマイナス気味にしてみる。もっと絞ったほうがいいんじゃないだろうか。いいぞ、何だか面白くなってきた・・・ 時にはこんな撮り方も良いのではないでしょうか。 青い鳥はわたしたちの足元にいるのかもしれません。 ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) カメラに限らず、新製品が出る時はワクワクするものです。特にそれが思い入れのある分野であればなおさらです。そのように感じるのはとても健全で楽しいものだと思います。 ところが、どうもデジタル一眼の分野に関してはそうとばかりも言えないような人たちをよく見かけるような気がします。 曰く、「サプライズが必要だ」 曰く、「正常進化が必要だ」 曰く、「こんな体たらくでは××には勝てない」 、などなど・・・ カメラは新製品が出たらその度にビックリ仰天しなければならないびっくり箱なのでしょうか。 正常進化って何なのでしょうか。何が正常で何が異常なのでしょうか。ほんの少し前まで、ライブビューや動画や可動液晶は邪道扱いされていました。ところが今やあって当たり前の機能になりつつあります。これは正常進化なのでしょうか、それとも異常進化なのでしょうか。 メーカーは商売ですから、もちろん商売敵とは戦わなければなりません。しかしながら、ユーザーがその代理戦争を買って出る必要があるのでしょうか。 (もっとも、こんなことは今に始まったことではなく、例えば1936年にアサヒカメラに載ったライカとコンタックスの比較記事がきっかけでどちらが良いカメラなのか大論争が起こったそうです) わたしの認識では、カメラとは自分が撮りたい写真を撮るための道具です。びっくり箱でもなければ、進化論を語るための教材でもなく、何かと戦うための武器でもありません。万人を満足させられる万能のカメラなどというものは現実には存在しませんから、自分が撮りたい写真のために必要とする機能を持つボディとレンズを選ぶだけの話です。 もちろん、カメラにびっくりさせられることを期待したり進化の正当性を議論したり仮想敵と戦ったりするのもそれはそれで一つの楽しみ方ですから、そのこと自体は否定するつもりはありません。楽しみ方は人それぞれで、他人がとやかく言うようなことではありません。 ただ、そういうことに終始しているような人たちはそれを楽しんでいるようには見えないことが多いように思います。仕事でやっているわけでもないのだから楽しくないならさっさとやめれば良いのに、とも思います。余計なお世話かもしれませんが・・・ ![]() (camera: canon EOS 7s lens:Cosina 100mm F3.5 macro film:Velvia100) 1930年代から戦後に到るまで、一般人が使うレンズ交換式カメラの主流と言えばエルンスト・ライツ社のライカやツァイス・イコン社のコンタックスを初めとするレンジファインダーカメラでした。オスカー・バルナックが創りだしたいわゆるバルナックライカはそれまでの木製大型カメラとは違って持ち歩きに適したものであり、採用されたフィルムサイズはその後の世界標準になるなど大きな影響を与えました。 1949年にペンタプリズムを採用した量産一眼レフカメラとして世界初のContax Sが発売されます。当初の一眼レフはクイックリターンミラーではないためシャッターを切ったらブラックアウトしたままだったりファインダーがザラザラで暗かったりと決して使い勝手の良いものではなく、さんざんにけなされたりしていたようです。しかしながらレンジファインダーカメラと違ってレンズを通した光景を見ることができるというのは大きなメリットであり、一眼レフ登場当初からその可能性に大いに期待した人も多かったのではないかと思われます。 日本のカメラメーカーは当時世界最高のレンジファインダーカメラであるライカとコンタックスに追いつき追いこせとばかりに頑張ってコピーカメラをせっせと作っていたのですが、1954年に発表されたLeica M3のあまりの出来の良さにレンジファインダーカメラを作る意欲を失い、日本のメーカーが一眼レフに向かうきっかけになったと言われています。 その後の日本メーカーの躍進は誰もが知る通りで、今やキヤノン・ニコンは世界で知らない人がいないと思われるくらいの巨大な一眼レフメーカーとなりました。 一眼レフはそれ以前のカメラと違って非常に汎用性が高く、超広角から超望遠、マクロに到るまでほぼ万能と言っても良い使い勝手を誇ります。ところが、残念ながら一眼レフはレンジファインダーカメラを全ての面で凌駕したわけではなかったため、細々とではあるもののレンジファインダーカメラが生き残ることとなりました。 すなわち、一眼レフはレンズを通した光景を見るためにミラーボックスやペンタプリズムなど本来は写真撮影に不要な構造を有しており、それがボディやレンズの肥大化につながっているのです。また、写真撮影の際にはミラーを持ち上げてフィルムを感光する必要がありますから、ファインダーが一瞬ブラックアウトする、ミラー動作の分だけシャッターラグが長くなる、ミラー動作の振動が発生する、などの問題が起こります。 それらのデメリットを嫌う人はレンジファインダーカメラを使い続けたのです。 デジタル時代に入り、一眼レフとレンジファインダーの特徴を合わせ持つミラーレス機が登場しました。今はまだ技術的にこなれていない部分も多いですが、いずれは一眼レフとレンジファインダーの良いところ取りの優れたレンズ交換式システムとして完成することでしょう。 かつてライカがそれまでの大型カメラとは違って持ち歩きやすいカメラとして作られたように、ミラーレスも肥大化する一眼レフへのアンチテーゼとして登場しました。歴史は繰り返すと言われますが、ミラーレスはバルナックライカの再来であるとも言えるでしょう。 今後ゆるやかに、もしくはある時点をもって急速に、カメラの主流は一眼レフからミラーレスに移るのではないでしょうか。 Canon デジタル一眼レフカメラ EOS Kiss X5 ダブルズームキット KISSX5-WKITby G-Tools ![]() (camera: panasonic LUMIX DMC-G1 lens:LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8) この頃、オリンパスのフォーサーズフラッグシップ機であるE-3の後継機のうわさと共にフォーサーズ(以下、4/3と記す)の今後のあり方についての議論を眼にするようになりました。 今回はマイクロフォーサーズ(以下、m4/3と記す)ユーザーから見た今後の4/3というものを考えてみたいと思います。 今後、4/3はゆるやかにm4/3と統合していくのが良いのではないかと考えています。 例えば、今度ソニーからα55という、EOS-1N RSのようなペリクルミラー機とミラーレス機を足して2で割ったようなカメラが出ますが、ああいった方式をモジュール化して4/3とm4/3のハイブリッドボディにします。もしくは、m4/3ボディの撮像素子に位相差検出式AFのセンサーを埋め込んでマウントアダプタ経由で4/3用レンズを位相差AF可能にします。 そういうボディがあれば4/3用のハイグレード&スーパーハイグレードレンズもまったく支障なく使える上にm4/3のコンパクトなレンズも使用可能になります。 今後の技術の進歩でm4/3と4/3の性能差がほとんどなくなればm4/3と4/3を並立させる意味もなくなります。そうなれば4/3のレンズを徐々にm4/3に置き換えていき、最終的にはm4/3一本に統合してしまえばラインナップとしてはすっきりします。 上述のようなボディがあれば従来の4/3レンズユーザーでもマウントアダプタ経由で支障なく使えるわけですから実質的な不利益はほとんどありません。強いて挙げれば光学ファインダーがなくなることくらいでしょうが、今後EVFが表示速度やダイナミックレンジなどの更なる発展を遂げれば光学ファインダーにこだわる必要性も薄れていくものと思います。構造上光学ファインダーを大きくしにくいフォーサーズにおいてはむしろEVFのほうがいろいろな意味でメリットのほうが多くなるでしょう。 4/3をさらに拡充しろとかいっそのことm4/3に注力して4/3はきっぱりやめろという声もあるようですが、個人的には現時点ではそのどちらも良策とは思えません。今後は4/3とm4/3をいかに上手くつないでいくかがこの二つで一つの規格の更なる発展の礎になると考えています。 OLYMPUS デジタル一眼レフカメラ E-5 ボディby G-Tools
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